診療室から 〜院長 近江 徹広コラム〜

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2014年1月6日掲載家で看取るということ

 新年おめでとうございます。
 今年もみなさんどうぞよろしく。

 いきなり新年早々、縁起でもない話で恐縮ですが、「皆さんは何処で最期の時をむかえたいですか?」と尋ねられたらどう答えますか?

 現実には圧倒的に病院で亡くなる方が多いのですが、50年くらい前までは自宅で亡くなる方が多かったのです。医学のめざましい発展に伴い、とても治りそうもなかった病気もかなり治る、あるいは改善するようになりました。

 だからたとえ、ガンなど難病になったって、まず病院に、入院すすればなんとかかんとかなるかもしれない、そんな思いをもたれることも理解できます。でも、現実には治らない病気も、その結果亡くなってしまうことはもちろんあります。

 今は、治らなくても、もう亡くなることがわかっていても病院にそのまま入院して病院で最期を迎える、のが一般的です。

 しかし、ホスピス病棟は別として病院は本来、最期を看取るための施設ではないのです。
病院は患者さんの病気をなおし、なるべくはやく家にかえし、できれば社会に復帰さすための施設です。医師は病気を発見し、治療に専念するのが大事な使命です。

 治すことが使命の医師ですが、看取ることになったとき、病院の一室で、多くの場合ごく限られた家族の方々の前で「力及ばず残念です」といって死を宣告するのです。

 どうしても治せない病気はありますし、又ヒトは如何に健康に留意しても、事故や大病を免れても、やがて老いて、その先には死が必ずあります。
死の場所が病院であってはならないというのではありません。

 しかし病院はホスピスは例外として、本来看取りの場ではないし、さらにいまや地域の機関病院などでは、医療経済的にも人的資源の面からも、もっと治療に専念するように求められている、つまり余裕がなくなってきたことも事実です。

 では家で看取ることなんてほんとにできるのでしょうか?

 まず家は狭いし、家族だって皆忙しくて介護なんて無理、第一家族といったって子供たちは遠くにすんでいるなどなど。

 さらには急に具合が悪くなったら、どう対応したらいいの?などなど不安もおありでしょう。

 もっともなことです。でも今、在宅医療を支えようとする活動が大崎市をふくめ全国的に活発になってきています。包括支援センターや訪問看護ステーションなど、多くの職種が互いに協力しあう体制が急速に整いつつあります。

 もっとも対応が鈍いのは医師かもしれません。でも在宅医療は病院医療と違い、その主眼が治療ではなく、介護であるなら、医師の役割は限定的なものとなるでしょう。

 病院で最期を迎える、このことは‘死’は忌むべきもの、隠すべきものとされ、とくに小さな子供達にとっては、その現場から遠ざけられることが当たり前となってしまいました。
死は希薄化してしまい、死はまさに現実感のない存在になってしまったのはなにも、子供や若者だけでなく、社会一般の風潮でしょう。

 しかし、自宅で死ぬことは当たり前だった昔は死とは極めて自然なことだったのです。
家族だけでなく近所の人たちも、最期のときを看取り、その悲しみや様々な想いを共有したのです。

 高齢化がすすみ在宅医療がますます重要度が増してくることでしょう。その結果、在宅死や施設での死も増えていくことでしょう。

 死は誕生と同じく、その人にとって最大のイベントです。最期は個人の望むような形で迎えてもらうことは大切なことと思います。

 私も今年65歳になります。人生の最期を考えてしまう昨今であります。
誰の言葉だったでしょうか?

 「よく死ぬことはよく生きること」。

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